電池メンタル社会人日記

映画やライブの感想書きます

松本人志について

キングオブコント2020面白かったですねー。僕は大学生になるまでそこまでお笑いに興味なかったけど、今回は前から楽しみにしてて16年以外のKOCを見返しました。見返すと11年で客席の角にいたアルピーがいじられてたり、13年の天竺鼠の寿司のコントに新しい時代の幕開けを感じました。今回好きだったのは滝音ロングコートダディうるとらブギーズ空気階段(2本目)。特に笑ったのはうるとらブギーズ。去年同様ツボに入った。最近、youtubeでハマったニューヨークも最終3組に残ってくれて嬉しかった。しかしながらヤクザのコントあんなにウケないもんかね。今年もツイッターでは審査員審査がはびこってました。そんなんじゃ誰も審査員を受けたがらないよね。審査員に対する過小評価が起こる視野の狭さはすごい不快です。コントのように自由なものをベテランが感性で判断するのは当然のことのように思うし、そんなに分析が見たいなら作家やお笑いマニアが審査でもすればいいんじゃないですか。まぁ来年もお笑いの日はやって欲しいですね。MCはダウンタウンで。そんなダウンタウンの松本のことを今年の夏休みになんかよく考えてました。よく考えたって僕の人生とは何にも関係ないのに!!

 よくMHKや映画が黒歴史って言われてるけど本当に観て言ってるのか。ビジュアルバムは神でMHKは糞って語られ方が多いけど、MHKにも笑えるコントありましたよ。特に笑ったのは「オンリー」と「MACCHANG」。「シール」の狂った男の演技も良かった。特徴的だったのは、まずパッと面白い画があること。「ハンドバルーン」のグランド内の地中から沢山出てる手、「シール」の沢山シールが詰まったファイル、「ヘレン」の雨上がりの朝日に叫ぶきよし。他には毎回外国人を起用してたり、テレビのパロディが多かったりするのも特徴的だった。ちなみにビジュアルバムでは「システムキッチン」「古賀」「寿司」が好きです。

R100』も最近見て『大日本人』以来に良かったなと思いました(『さや侍』は見てないけど)。よく松本にまたコントして下さいって言う人いるけど、僕はまだ映画の方が可能性があると思うので映画を撮って欲しいですね。映画の感想ブログを漁ったり、菊地成孔の本や杉田俊介のnoteを買ったりして松本の映画に対する解釈を考えてました。ただ、杉田のnoteの後半に書かれてる松本の「笑い」とたけしの「笑い」の二項対立が雑すぎて具体性がなくてダメでしたね。前にも松本とたけしと太田光を比較した作家がいたけど、人をゲームのパラメーターみたいな表にしてほんと下品だった。松本批判する人の大概がたけしアゲして「ほんとの笑いとは〜」とか言うやつ多いよな。あと常套句のように使われる「教養のなさ」って言葉のくだらなさ。

10年代の松本は時代によって変化してる。11年の27時間テレビの『アカン警察』でムキムキの筋肉がイジられ、13年のリンカーンツイッターを開始して、14年には『ワイドナショー』が朝に移動。近年、批判されることが多くなった松本。テレビは時代の空気によって次々変化する。そこがテレビの良さであり残酷さだ。テレビで大衆に支持されたものは大衆によってあっという間に手のひらを返される。功の部分は検証されず後に伝わらず、罪の部分は後出しで影響力を持ってどや顔で批判できる。お笑いが瞬間最高風速のようなものだとしたら芸人にとってテレビに出続けることは果たして幸せなのか。お笑いが原因で日本が悪くなったって意見もあるけど、それってわかりやすくて叩きやすいからでしょ。もっと複雑な社会の構造に目を向ければ。あと笑いによって救われた人もいるから。だって、あなたの批判は僕を救ってくれないでしょ。笑いに変えること、笑ってやり過ごすことが全部マジに捉えられ批判される時代。僕は笑いに救いを求めてる。